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「ブリンジ・ヌガグ 食べ物をくれ」という本を読んだわけだが、
原著は、1973年の文化人類学の本である。 アフリカのピグミーの研究をしていた著者が、アフリカ中部の「イク族」と共に暮らした2年間の研究の成果がまとめられている。 イク族(本来は、イークという発音らしい)とは、 戦前は狩と採集をしながら、スーダン・ウガンダ・ケニアの国境地帯を移動しながら暮らしていた山岳民族らしい。 戦後、アフリカ諸国が独立し国境線が引かれて移動が制限され、さらに彼らの狩猟場が野生動物保護のために国立公園になってしまう。イク族は、ウガンダ政府によって、定住して農業を営むことを強制される。 やせた土地で、狩猟民族が農耕して暮らせるはずも無く、旱魃が追い討ちをかけ部族は絶えず飢餓の危険にさらされることとなる。その飢餓の過程で、イク族は急速に人間性を失ってしまった。 著者は、前提知識なしでイク族の集落を訪れ、文化人類学者的な冷静な視点で観察を始めるが、彼らの社会を目の当たりにして大いに狼狽し打ちのめされることとなる。 子供の成長: イク族では、子供は3歳になると家の外の庭に放り出され、そこで寝起きをすることになる。食事は親からは与えられないので、子供達はグループ単位で採集を行い食料を確保する。子供は、幼いうちから次々と死ぬが気に留めるものは誰も居ない。年長のグループを卒業するまで生き延びた者だけが大人の仲間入りをし、集落内に家を持つことが出来るが、そうなるまでに相互不信とエゴこそが生き延びるすべということを学ぶ。 食料の確保: 形式的な家族というのは残っており、棲家も家族単位で仕切られている。しかし、食料の確保はめいめいが行い、家長である男性が食料を持ち帰ることはありえない。個々が、それぞれ自分のためだけに食料を確保し、余っても持ち帰ることがないことを、夫婦同士、親子同士理解している。 確保した食料は動物であれ木の実であれ、他人に見つかる前に大急ぎで食べてしまう。火を通さないといけないものも半生でかきこんでしまうわないと、誰かに見つかってしまう。 老人は、食料を確保することが出来ない。見かねて著者が食料を与えるが、老人がそれを食べ終わるまでそばにいてやらないといけない。目を離すと、元気な連中や子供達が食料を奪ってしまうからだ。 大人たち: 集落に寄り集まって住んでいるにもかかわらず、それぞれが自分が食べることのみを考えている。友情とか自己犠牲といった概念はまったく無い。夫婦間における協力関係も、ほとんどない。極まれに、協力して何らかの仕事をすることもあるが、常に見返りを期待してのことである。 イク族は総じて狡猾かつ酷薄で、彼らの言うことは話半分に聞かないとバカを見ることになる。著者は、イク族の集落で暮らすうちにそのことを学び、著者の言うことにすぐに同意したときは彼らが嘘をついているときだということを理解するにいたった。 イク族には、他の部族間の家畜の争奪戦に乗じてうまく立ち回るという才能があり、元気な大人たちは、それでかなりの収入を得ているようだが、その収入による恩恵が老人や子供達に分配されることは無い。 イク族は、食料に関するとき以外は、他人を笑うためだけに他人に注意を払う。乳児が焚き火に手を突っ込みそうになると、大人たちは、期待を込めたまなざしでその行く末を見つめる。そして、焚き火に手を突っ込んだ乳児が泣くのを大いに笑うのである。 狂気: 餓死寸前の13歳の少女が、家に入れてくれと懇願するが、親はいっこうにとりあわない。彼女が、家の前で何日も泣いていたら、親が家の中に彼女を招き入れた。しかし、そのあと家の出口を "少女の手では開けられない" ほどきつく閉めて、親は出て行ってしまった。十日ほどして親が戻ってきたときに、少女は当然死んでいた。親は、台所のごみを扱うように、彼女の死体を捨ててしまった。 著者に言わせると、狂気をはらんでいたのは少女の方だそうだ。イク族においては、親・兄弟に何かを期待するのが間違いである。彼女は、親に慈愛を求めるという狂気によって死んでしまった。 老人達: 老人達は、立つことすらできないほどに衰弱している。政府による食料の配給が始まったときも、配給所までたどり着くことができないでいた。老人の息子達は、家族の分の配給も受け取り、集落に帰るまでに全部一人で食べてしまう。息子達は、配給の頭数という意味でしか自分の親に注意を払わないし、孫達は、地面にうずくまる老人達を、殴り、たたき、蹴飛ばして、なけなしの食料を奪い取る。 最後の記憶: 著者は、息子の家に入れてもらえない老婆に家を提供すると申し出たが、「息子のそばで死にたい」という理由で断られる。代わりに老婆に食料を要求された。食料を持っていれば、息子が中に入れてくれるかも知れない。著者は、今食べる分の食料を与え、それが奪われないように食べ終わるまでそばに居た。最後に、食料を持たせて送り出そうとしたとき、老婆が涙を流して泣き出した。イク族が、まだ人間性を失っていない時代のことを思い出してしまったのである。結局老婆は、息子の家の庭には入れたが食料をとりあげられて、すぐに餓死してしまった。 人の死に際して: イク族にとって、死にかけている人間には笑いの対象として以外に価値は無い。よって、死期の近い老人に食料や水を与える著者の行為は、食料の無駄として常にイク族によって非難されていた。 イク族の集落で、家畜の争奪戦が起きたとき、著者の寝ている車の近くで、血溜まりの中でうずくまっているイク族の男が居た。ライフルで2発撃たれている。彼は明らかに死にかけていて、「紅茶をくれ」と言っている。著者は、ホーローのカップに紅茶を入れて、彼の手の届くところに置いてやった。そのとき、彼の妹がどこからともなく駆けて来て彼の紅茶を奪いとり、うれしそうに飲み干してしまった。 人が死ぬと、略奪が始まる。死んだ人間から食料やアクセサリーを奪い取るのだ。笑える場合を除いて人が死ぬことにイク族の人間は無頓着だが、死に場所にはうるさい。敷地の中で死なれると葬式を出さなければいけないから。家の中で身内が死んでしまった場合は、その死を隠して死体を庭に埋めてしまう。そして、「あいつは家で寝ている」などと言いふらす。 世界を見回して: 白人社会におけるいわゆる人間性というものが、イク族の社会では完全に欠落してしまっている。戦前のイク族がそうでなかったことを考えると、非常に短期間にそれが失われてしまったことを意味する。今、世界を見回してみると、戦争、公害、核家族化といったインパクトが白人社会における人間性を失わせつつある。イク族がたどった道がイク族固有のものではなく、人類すべてがたどる可能性がある道であるとすれば、白人社会においても短期間で人間性の欠落が起きるということになる。著者は、今なら、まだ間に合うのではないかという希望を捨てていない。 他にも、文明社会ではありえないような悲しい話がたくさん載っている。文化人類学者的な観点で、ピグミーや白人社会との違いについてもいろいろと考察がなされているが、そんなものはほとんど印象に残らない。 著者も指摘しているが、飢餓によって人間性が短期間に失われるという事態は、おそらくどの社会でも起き得ることだろう。実際、2年に渡ってイク族と生活した著者は、集落を離れる頃にはイク族の老人の死を悲しまなくなっていたそうだ。たった2年で。 書店では見つからないので、各自、地元の図書館を探すべし。 「ブリンジ・ヌガグ 食べ物をくれ」 コリン・ターンブル 幾野 宏 訳 筑摩書房
by g-10chan
| 2006-03-24 04:34
| 読書
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